アトリエ便り
大竹五洋制作・大下図
バレリーナの作品の大下図に取り掛かる。これからしばらくは下図に練る日々が続く。
大竹五洋日常・晩秋
家の周りの木々の実が赤く。あるいは黄色に熟してきた。ヒヨドリの声が盛んに聞こえるようになってきた。彼らは実が一番熟しておいしくなるのを待っているのだ。
大竹五洋日常・ロータリー
今回のロータリーの卓話は横浜からJR東日本の社員の方が来られ、鉄道がいかにして動かされているか仕組みを教えていただいた。
大竹五洋の画歴・独立
伊東深水から独立したのは昭和39年であった。弟子入りしたのが昭和25年からなので14年間の修行期間であった。実は兄弟子たちは、なんとなく
伊東深水のところから出て行って、きっちんとした形では独立していない。一つには自分のライバルを育てたくないという気持ちもあったようだ。しかし
この頃になると「一人ぐらい後継者を作った方が良い」という周囲の言葉もあり、私は伊東深水自身が独立を認めた最初で最後の弟子になった。
大竹五洋日常・絨毯
今日、居間に新しい絨毯を敷いた。本額装の100号以上の作品を数点、壁に立てかけているので家族総出で敷くことになった。一点が20キロ以上あるので大変である。
大竹五洋の画歴・雅号
伊東深水は姓名学にも凝っていて弟子や人の名前を付けるときは各数にこだわる人であった。特に弟子の場合は自分の名前との共通点を作らねばならない。五洋は五つの海をまたにかけるくらい頑張ってほしいと名付けられたものである。洋の三ズイは深水と共通する。同時に妻の通り名(各数が悪いという理由から)と息子の名前も伊東深水が名付け親となっている。家族にも名前も付けてもらえたのは私と実子の万耀氏のところくらいであろう。
大竹五洋日常・年末ジャンボ
今日は年末ジャンボ宝くじの販売初日であった。7億円を目指して地元のみずほ銀行へ行く。
大竹五洋日常・制作の準備
この間、依頼を受けたバレリーナの娘さんの作品の制作準備に取り掛かる。手足を伸ばした独特のポーズは構図をとりにくいものでもある。
バレエの雑誌を参考にしながら作品の構成を練っているところである。
大竹五洋の画歴・伊東深水のアトリエ
伊東先生は戦前、池上本門寺の広い土地を借りてアトリエとしていた。戦中は小諸に疎開をして、戦後は鎌倉市に居を構えた。鎌倉のアトリエは山之内、いわゆる北鎌倉にあり、北鎌倉駅を降りてすぐ右手の交番の奥の坂道を登った山の上にあった。字名で言うと西瓜ヶ谷というところだ。私はここで14年過ごすことになった。鎌倉へ買い物するときはよく葛原ヶ岡の山道を通りって行った。
大竹五洋日常・絨毯
今日のロータリークラブの卓話は多摩大総合研究所所長の望月照彦氏の「鎌倉の世間遺産で世界が感動!」であった。簡単にいえば、鎌倉の良いところを市民一人一人が自覚して守っていこうというものである。
帰り道、妻と合流して居間に敷くための絨毯を購入する。今まで使っていた絨毯の色が廃番になっていたので選び直した。